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今朝の一面は中国四川省からの自然災害のニュースです。

日本でも報道されておりますが、四川省の「阿壩藏族羌族自治州」の「茂縣」の谷間にある「新磨村」の62戸、約120人が山崩れに飲み込まれました。この災害は、8年前に台湾の「八八風災」で小林村が壊滅したものと似ており、「提醒這類有人居住的山區應做好地質調查。(人類が山間部の居住地区の地質調査を良くすべき事を提起している)」。この地区は2008年の四川大地震の大きな被害を受けており、その時は少なくとも5000名の人が亡くなっています。

(災害前の「新磨村」)

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「茂縣」は、四川省の世界遺産で世界的にも有名な「九寨溝」にも比較的近い場所だそうです。

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「茂縣」は人口の9割が少数民族の「羌族(チャン族)」で、中国最大の「羌族(チャン族)」居住区です。民族概要については、以下をご参照願います。


「羌族(チャン族)」 wikipedia

チャン族(羌族、ピンイン:Qiāng Zú)は、中華人民共和国の少数民族のひとつ。人口は約30.6万人(2000[1])。主に四川省アバ・チベット族チャン族自治州内の茂(マオ)県,汶川(ウェンチュアン、ウントン)県,理(リ)県及び松潘(ソンパン、スンチュ)県、更に綿陽(ミエンヤン)市内の北川チャン族自治県に集団で住んでいる。

 

名称

チャン族は「爾瑪(アーマ)」或いは「爾芋(アーユ)」と自称する。その意味は「現地で生まれ育った人,土着の人」である。中国による支配後、統一して羌(チャン)族と称するようになった。

 

言語

チャン族(羌族)はシナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属するチャン語を話す。

 

人口

1964年の中国全国第1回人口調査による統計では、人口は48,261人(州全体の人口の9.98%を占める)であった。1993年時では約20万人。2000年の第5次全国人口普査統計では306,072人で、中国政府が公認する56の民族の中で28番目に多い。

 

歴史

チャン族は古代から中国史に名を残す異民族であり、古くは殷代の甲骨文字の中に、羌人に関する記載がある。古代の羌人は分布が広く、中国の西北,西南,中原の一部の地方にもその活動が見られた。その後、時代を経て古代羌人の一部は現在のチベット・ビルマ語族の中の各族に発展変化し、別の一部はその他の民族、とくに漢族と融合した。ただ、岷江上流域の渓谷に生活する一部の羌人はさまざまな要因によって今日までその姿をとどめている。

2008年の四川大地震で激しい被害を受け、チャン族の文化は保護復興事業の対象にされている。

 

生活

チャン族はおもに農業に従事し、牧畜業も兼ねる。特に井戸掘りと石造建築物の構造技術に長じる。また伝統的な「アニミズム」が信仰されており、宗教生活におけるタブーも存在する。たとえば子供が生まれると、鬼を連れてくる恐れがあるので、面識のない人が部屋に入ることをもっとも忌む。そのために入口に赤い旗をかけて見知らぬ人の立ち入りを禁止する。もし家畜の豚,羊,牛などが子供を産むと、産まれた家畜の数と同数の棒を敷居に束ねておく。それは見知らぬ人の立ち入りを忌むことを示す。もし見知らぬ人が入ると、母親の家畜の乳が出なくなると考えている。子供たちは魔よけのために普段、銅の鏡をかけ、帽子にホラ貝をつける。また、見知らぬ人がこれらの物にも触ってはならない。台所の鉄の五徳を脚で踏んではならない。さもないと、天神を怒らせることになるためである。許(シュイ:シャーマン)を招いて病人のために鬼祓いをしてもらう場合、他人は室内に入ってはならないため、その家の門前にしばしば麦わらで作った人形や馬などを目印として置いておく。戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。以上のように「アニミズム」の宗教がチャン族の生活に極めて重要な影響をもたらしている。

 

結婚

チャン族の婚姻形態は基本的に一夫一婦制である。茂汶県雅都郷の初期の調査によれば、全郷241組の夫婦中、一夫一婦の占める比率は95.5%、一夫多妻の占める比率は4.5%であった。一夫多妻というのは封建支配階級の者たちであり、2人あるいはそれ以上の妻の間に産まれた子供の嫡庶の区分がなく、地位は基本的に平等で、聡明で能力のある者が家事(財産)を取り仕切る。

チャン族の婚姻には厳格な階級の制限があり、家柄の釣り合いを求め、いわゆる「貧しい者は貧しい嫁をさがし、富んだ者は富んだ嫁をさがす」のである。改土帰流(かいどきりゅう)[3]以前、土司は土司間相互で通婚するが、平民とは絶対に通婚せず、改土帰流後も、地主階級は農民と通婚しなかった。

チャン族は一般に同民族内部で通婚するが、その他の民族と結婚することを排斥しない。事実、漢族と雑居している者は漢族と結婚し、チベット族と雑居する者はチベット族と結婚している。しかしながら、「いとこ婚」も盛んに行われており、童(トン)氏と坤(クン)氏といった固定した通婚関係のある氏族が存在する。

婚姻は一般に父母の取り決めによるが、特に母親の同意を得なければならない。父母の多くは、子供が幼少の頃から彼らにかわって婚約を決め、中には少数であるが「指腹為婚」[4]もいる。一般に早婚が行われ、男子は7歳から10歳までに、女子は12歳から18歳までに相手を決める。多くの場合、女子は男子より年齢が高く、男子が婿入りするときだけ女子よりも年上であることが多い。また、チャン族は「売買婚」を実行しているので、婚約から結婚まで男女は女方に婚資を贈ったり、客を招くなど大量の金銭を浪費しなければならない。このため、多くの農民はいつも嫁取りのために金持ちから金を借りて高利貸しの搾取を受けざるを得ず、ひどい時には子供が成人になってもその利子を払い終わらない者もいる。こういったこともあり、中には財力がなく、一生独身生活を送る者もいる。

チャン族には「夫に先立たれた妻は夫の兄弟の妻になる」というレヴィレート婚が普遍的に存在する。これはよく遊牧民に見られる風習であるが、チャン族の場合もそれと同様で、財産を他の姓に渡さないという目的がある。ただし、夫の兄弟が引き取らない場合にだけ、その妻は他の姓に嫁ぐことができる。チャン族ではレヴィレート婚のことを「転房(チュアンファン)」という。

 

葬祭

葬式でも霊魂不死の観念が介在してさまざまな儀礼習俗を作りだした。たとえば、使者に6枚の衣裳を着せ、口に銀,豚肉,菜の葉を入れ、また許(シュイ:シャーマン)に書いてもらった「通行券」をその衣服のポケットの中に入れておく。それは霊魂を無事に冥土へ送りこむためである。年寄りが死ぬと、その霊魂を案内させるために家の者は必ず一匹の羊を殺す。その際、羊の内臓の傷んでいると思われる部分を探し出し、そこがその年寄りの死病の個所であると決める。そのあとで他人にその羊の肉を食べてもらうが、遺族はそれを食べることをはばかる。もし死者が崖から墜ちて死んだ場合は、家の者が必ず彼のために許(シュイ)を頼んでその魂を呼び出してもらい、また「身代わりの魂」として一匹の羊を死者が墜ちた崖から落とす。もしこの羊が死なずに家に戻ってくると、非常に不吉なこととされ、後になって2人目の事故者が出る恐れがあるという。横死した者は全て火葬にされる。火葬の日取りと時刻は家族のすべての者の誕生日・時刻と同一であってはならない。もし同一であるときは該当者が高い所に行って隠れていなければならない。死者より高い所にいれば、凶を吉に変えられると考えられているためである。